未曾有の大災害の最中で・・・

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 大震災から1週間。

 11日、義父が入院することになったため、その病状とお見舞いに昼から半休を取って東京に向かっていました。14時40分長崎発羽田行き。だからその6分後に何が起こったかなんて全く知りませんでした。羽田到着時間を過ぎても一向に降りようとしない飛行機。機長から「羽田空港混雑のため着陸が30分遅れます。」とのアナウンスがあっただけ。今思えば無用の混乱を避けるためだったのでしょうが、空港のロビーに足を踏み入れて驚きました。椅子はおろか床にみんな座り込んでました。でも何があったか空港には情報がない。

 とにかく吉祥寺行きリムジンバスの受付に行くと地震のため運転見合わせとのこと。表示板も調整中ばかりで、どんな地震でどうなっているのかもわからない。仕方ないのでモノレールと京急の改札を目指したが、ここもだめ。係員に話を聞くも、「地震が発生し、安全確認中。」ばかりでどうにも要領を得ない。

 携帯でニュースを見ると東北で震度7?ようやくただ事でないことがわかりはじめ空港の案内窓口へ。この間、おそらく30分くらい空港内を歩き回ったように思う。

 空港の案内窓口に行ってみると携帯電話の充電をしてもらっている人に混じってモバイルパソコンの充電サービスを受けている人が、充電しながらニュースを見てます。その映像を肩越しに近くの人みんなで食い入るように見ました。津波が町に押し寄せ、車がボートのように何台も一塊になって波にさらわれていく映像。マグニチュード8.8に修正!?とんでもないことになってしまった・・・。災害にあわれた方のことを思うと言葉もありません。

 恥ずかしながら、子供の頃から地震が一番怖くて大嫌いで家が揺れるといつもびくびくしてましたが、私が育った栃木県には海がなく、津波の恐怖はわかりませんでした。これまでもニュースで海外の映像など見ていましたが、どこか別世界のようなイメージ。スーパー堤防も何じゃそりゃ、ってな具合で仕分けされても仕方ないなと思う程度。今は、100年後の日本の在り様に想いを馳せて仕事をするのが真の政治家ではないかと思い始めました。そういう意味で、少なくとも石原都知事は政治家なんだなと・・・。

 脱線しました。自宅に燃料・食料・水とアウトドアグッズを集めそれなりに準備していたつもりでしたが、正直これほどの災害が発生するとは、そして外出先でその現実に直面するとは考えも及びませんでした。帰宅支援マップは自宅の机の引き出しの中。長崎にいては東京の地図など意味がないとしまいこんでしまってました。災害が時と場所を選ばず襲ってくる非情なものだと空港に孤立するというこの時点で初めて痛感し、自分の災害に対する認識の甘さを反省しました。

 とにかく家族と連絡を取らなければと携帯で電話するものの全くつながらず・・・。

 ようやく内幸町にいる妻には連絡が取れたものの妻も身動きとれず、帰宅経路の安全確保できるまで本社ビル外に出ることを禁じられたとのこと。義父の検査は終了し、付き添っていた義母も無事でそのまま病院に泊まるとのこと。残る心配は栃木の実家の両親。父は特別養護老人ホームなので自宅よりは安全なはず。心配なのは母だが、こっちは本当に連絡が取れない。空港からの移動手段は徒歩か、たまに来るタクシーを待って乗ることくらい。すでにタクシー乗り場には長蛇の列。隣の方と交代でトイレに行ったりしながら待っていると、19時ころになって空港から保安検査場の先の搭乗待合場を5時まで開放するとのアナウンス。これ以上待ってもタクシーが来ない確率が高いので、待つかあきらめるかどちらかを各自で選択しろ、とのこと。ここで並んでいた人の半分はあきらめて空港の中へ。空港の中に戻ってもいつ公共交通機関が復旧するかめども立たないし半分意地になってもいて、とにかく待ち続けることに。何人か前に並んでいた方は飛行機の着陸と地震が同時だったとのこと。何が起こったかわからずただ指示されるままに衝撃防御態勢を取ったと言ってました。それも相当恐い体験だったろうなと想像しながら結局待つことさらに7時間。タクシーは1時間に1~2台ペース。自分の番になった時には夜中の2時。

 吉祥寺方面に行く人に声をかけ、集めて相乗りです。これまで相乗りする人がちらほらいる程度でしたが、こんな緊急事態になぜみんな声をかけ合って相乗りしないのかと腹立たしく思いました。こんな時に助け合わないでどうするの!?

 運転手さんに聞くと、高速は一部亀裂があるとかで封鎖されており、一般道も軒並み1時間に1km進むかどうかの大渋滞。場所によっては通行できないとのこと。環八が渋滞しながらも辛うじて通れる唯一のルートということで、大半のタクシーが商売にならないから回送にして帰ってしまっているそうで、この運転手さんも本当は上がるつもりだったがたまたま明日(というか今朝?)の便で出張する人を羽田空港まで送ったので来ただけだったと…。そういえば乗車拒否するタクシーが何台もいましたが、そういうことだったのかと妙に納得。

 相乗りした方が世田谷とのことだったのでちょっと遠回りしてやっと自宅に到着。時刻は5時半過ぎ。急いで母に電話するもやはり連絡は取れず。ソファーに座りうとうとしていると母から連絡があり、やっと無事を確認。

 かなりの揺れだった様だが、自宅は無事。車庫の屋根が落ちかかっているとのことだが、この際母が無事なだけで何もいうことはありません。母から、幼馴染の友人が彼の自宅の安否確認より前に私の実家に寄り、1人暮らしの母の様子を見てくれたとのこと。彼はキャプテンハーロックを地で行くような情に厚い漢である(見かけはイニシャルDのゴットフットの方がキャラ的によほど近いし、行動も中学のころから助平そのものだったが)。

 ありがとう、友よ!

 この1週間、自分も何かしなければと思って妙に気が急いていたが、今自分にできることなんて実は大してないこともわかってきた。未だにご家族と連絡が取れない方のために無闇に携帯電話を使用せず回線を融通ずること、関西から関東へはあまり電気を送ることができないようだが、それでも火力発電の燃料は抑えられるから最低限限度の電気だけを使用して極力節電に努めること、Q4を乗り回したつもりでガソリン代を募金すること、不急不要な買いだめはしないこと、放射能汚染に過敏な反応をしないこと、チェーンメールを闇雲に転送するような愚行を避けること。

 そしてなにより日々の業務を確実に行うこと。東の落ち込みを西がカバーする。みんなが各自の持ち場で日々の業務を確実に行うことが復興への歩みを進めることになる。経済はつながっているのだから。

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Category: 日記

足車メンテ(備忘録)

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 ちょっと前ですが、2月5日、プジョー206のオイル交換に行ってきました。今回はエレメントも交換。走行距離は・・・忘れてしまった。キリのいい数字だったはず。

 まあ、また半年後を目安に交換することにします。ウォッシャー液を入れるフタが砕けてしまったので坂野社長に相談したら部品を取り寄せて送ってくれました。それはありがたいのですが、また請求書がない(苦笑)

 これはまた長崎名物を何かさがさないと。でも、お酒が飲めなくて甘い物好きとなると、何がいいかな(爆)

Category: プジョー
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